幸せってなんだろう
小学生の頃、好きだった女の子が卒業文集の中で、こんなことを書いていた。
「私は鉛筆を最後まで使い切れるような人間になりたいです」
最近、幸せってなんだろうと考えてる。
今の幸せの定石を考えてみると、
・ガチャでレアキャラが当たったとき
・ネットフリックスで映画観るとき
・SNSがバズってフォロワーが増えた時
・仕事がうまく行って社会的に認められた時
こんなところだろうか。
そう考えると、今の幸せって、全部外部に求めがちなのかもしれない。
たしかに、人間は1人じゃら生きていけないし、生きがいを自分以外に求めるのは正しいことだと思う。
しかし、ある程度幸せが担保されたものばかり摂取していると、自分の生活の色彩が段々モノクロになっていくんじゃないだろうか。
少なくとも僕はそうだった。
人生なんて退屈な日常の繰り返しだ。
でも、だからこそ、その繰り返しの日々を丁寧に生き抜くことが、本当の幸せに繋がるんじゃないだろうか。
「鉛筆を最後まで使い切れる」ことに喜びを見出せるような、そんな人間でありたいと僕は思うのだ。
最近、ゆで卵の殻をきれいに剥けて嬉しかった。
幸せなんて、そんなもんでいいのだ。
その辺に生えてる怪しい草を嗅いだらめっちゃテンション上がった
朝の散歩をして、休憩がてらベンチに座ってボーッとしていると、ジョギングをしているおっさんが近くにやってきた。
おじさんは突然立ち止まり、雑草の方へ目を向けた。
(あそこに何かあるのかな・・・)
としばらく見ていると、おっさんが急に雑草をこすり出し、その手を鼻に持ってきて嗅ぎはじめた。
(変なおっさんもいたもんだなあ 何か危ない草でも生えてるのか・・・?)
おっさんがジョギングを再開し向こうへ行ってしまったので、俺はそそくさとおじさんが立ち止まったところを調べてみた。
特に目立つわけでもない雑草を、おじさんと同じように嗅いでみると、
(これラベンダーだ…!)
まさかラベンダーがその辺に生えてるとは思わなかった。
自然の中で作られたとは思えない芳醇な香りに酔いしれ、俺はルンルン気分で一日を過ごしたのである。
朝散歩もなかなか悪くない。
キッチンの排水溝を毎日掃除するだけで人生上手くいく説
最近気づいてしまった。
毎日排水溝掃除すれば人生上手くいく。
理由は3つだ。
まず、メンタルが良くなる。
排水溝は汚い。
ちょっと放置しただけですぐに臭くなるし、受け皿に溜まったヘドロみたいなゴミは見た目が最悪だ。
あれに手を触れるのかと思うと生理的に受け付けなくなって結局無視を決め込んでしまう。
しかし時間が経つにつれてゴミがどんどん溜まる。匂いもキツくなる。
無視してもキッチンに近づくだけでどんどん気持ちが萎えてくる
そして受け皿の限界が達し、水が逆流してキッチンが大変なことになるのである。最悪だ。
僕は一人暮らしを始めてから8年間ずっとこれを繰り返してきた。
ただただ、受け皿のネットを毎日取り替えればいいだけだなのだ。それだけで気持ちがスッキリするのに、僕は今まで気づけなかった。馬鹿すぎる。
二つ目の理由は、お金が貯まるからだ。
排水溝を放置してキッチンに寄り付かなくなるということは、自炊をしなくなるということだ。
外食の回数が増えると、それに比例して食費も増える。たまに自炊しようかなと思うけど、汚いからやっぱりやめる。
こうなったらすでに負のスパイラルに突入している。
たった1分の掃除を怠るだけで貯金が大幅に減るのである。怖すぎる。
毎日ネットを交換する習慣が付いてからは、外食をしなくなった。ご飯を3合炊いて冷凍して、おかずを自分で作るようになった。
食費の差は歴然である。
3つ目に、身体が健康になる。
元々外食は糖質、脂質、塩分が多い。
自炊をすると健康に気をつけるようになり、上記の3つを調整することができる。
毎日頭は冴えてるし、昼に眠気が襲うことも無くなった。
そして一番大きいのが、食欲の正常化だ。
外食してた頃は、お腹が空くだけで頭の中が食欲でいっぱいになってしまっていた。完全に糖質中毒だ。しかも食欲を満たしたら満たしたで今度は眠気が襲うので、よくあの状態で仕事できてたなと思う。
今はちょっと糖分を摂取するだけで集中できるし、食欲にら体を支配されることはない。
ああ、キッチンの排水溝を掃除しただけでこんなに自由な気分になれるなんて思ってもみなかった。
世界中の人が毎日排水溝の掃除をするだけで、地球は平和に包まれるのではないだろうか。
皆さんもぜひお試しあれ。
そろそろ下痢の原因に終止符を打とうと思う
今日めっちゃお腹壊した。
原因は何となく分かっている。
ミルク入りコーヒーを飲んだからだ。
僕はコーヒーを飲むと8割の確率で下痢を起こす。
じゃあなんで飲むんだって話なんだけど、それは猫アレルギーの猫好きみたいなもんだ。下痢を起こさない2割に賭けて何が悪い。
ただ、今回はちょっと状況が違う。
今までの傾向では、コーヒーによる下痢は「お腹を壊す」という感覚ではなく、コーヒーによる刺激成分が胃腸を刺激して排便を促進している感覚だった。
今回のは「お腹を壊す」ほうだったので、もしかしたらコーヒーのせいではないのかもしれない。ここ最近はコーヒーを飲んでも下痢をしていなかったので、ミルクの方に原因があるのかもしれない。
しかし、ここでやっかいな事態が発生した。
そう、僕は今日ミルク入りコーヒーにMILOを入れていたのである。
ちなみにこのMILOは、開封が2カ月くらい前なので、もしかしたら状態が悪くなっているかもしれない。
犯人候補は3人もいるというわけだ。
今日の下痢は結構辛かったので、この際原因をはっきりさせてやろうと思う。
可能性①
コーヒー
これが本命。コーヒーにはクロロゲン酸という胃酸を分泌を促進させる成分が入っているらしい。カフェインにも同じような効果があるらしいが、僕は緑茶や紅茶を飲んでも下痢は起こさないので、カフェインの可能性は除外していいだろう。
可能性②
牛乳
牛乳の中にある乳糖という成分を消化するのがヘタッピなやつはお腹を壊すらしい。
これを「乳糖不耐」と呼ぶそうだ。
僕も牛乳を飲んでお腹を壊していた気がしなくもない。
可能性③
MILOって大体牛乳に混ぜて飲むものなのだから、MILOを飲んでお腹壊した奴は大体牛乳にやられたのではないかと思っている。
でも一応お湯にMILOを溶かしたものを飲んで検証しようと思う。
人間は基本的に怠惰なので、ちょっと痛い目を見てもすぐに忘れてしまう。
今までの僕もそうだった。
でも、今回の下痢の辛さを忘れずに、犯人を突き止めてやろうと思う。
コーヒー・牛乳・MILOをそれぞれ単体で飲んで、下痢を起こしたかどうかデータを取る。
まあ、2回ずつ実験すれば十分だろう。僕だって何回もお腹壊したくないもん。
というわけで、結果が分かったらまた記事を書こうと思う。
ではでは。
生ハムの存在の耐えられない重さ
いつだったか忘れたが、声優の上田麗奈さんが、自身の番組で印象的な話をしていた。
彼女は月が苦手らしい。月そのものの存在感に圧されてしまうことがあるらしいのだ(うる覚えなのでもしかしたら違う言い方だったかも)
太陽ならまだしも、月の存在感をプレッシャーに感じるというのは、繊細で不思議な感覚だなと当時は思った。
最近、サイゼリアで同じような体験をした。
ドリンクバーだけ注文したはずなのに、店員さんのミスでプロシュート(生ハム)が運ばれてきた。
断ろうと思ったが、なんだかもったいないのと、いちいち説明するのが面倒で、何も言わずに食べることにした。
読書をしながらちびちび食べようかと思ったのだが、どうにも本に集中できない。
赤々とした生ハムの存在感が、僕に向けてギラギラと何かを主張しているようで、本の世界に上手く入り込めないのだ。
神経質だなと思いつつ、遺体に白い布を覆うように、紙ナプキンで生ハムを隠した。
普段の生活においても、あらゆる物の存在感が、僕たちのメンタルに無意識下で作用しているかもしれない。
散らかった部屋にいると妙に息苦しくなるのもそれが原因と睨んでいる。
まあ、整理整頓は苦手なので、先に鈍感力を鍛えたほうがいいのかも。
年下のAV女優に嫉妬する独身男性
自分よりも若い子が活躍してると嫉妬してしまう。
コンビニで漫画雑誌のグラビア写真を見ると、ついついその女の子の生年月日を確認してしまう。
同年代か年上だとホッとするが、たまにびっくりするほど若い子もいたりして、その度に心がチクチクする。
まるで自分がこれまで何の努力もしてこなかったように感じられて、ちょっぴり焦燥感にかられる。
グラビアであればまだ良い。深刻なのはAV女優だ。
自分よりもずっと若いAV女優を見ると、学生時代にまともな青春をしてこなかったコンプレックスがじわじわやってくる。
「こんな若い子は経験しまくってるのに、俺は一体今まで何をしてきたんだ!」って。
まぁそれはそれですごい興奮するんだけど。
でも、そんな自分が醜くもあり、可愛いとも思うのだ。
きっともっとおっさんになると、当たり前すぎて悔しいなどという感情も湧いてこないのであろう。
嫉妬するだけ、まだまだ僕は頑張れるのかもしれない。何を頑張るのかはこれから決める。