生ハムの存在の耐えられない重さ
いつだったか忘れたが、声優の上田麗奈さんが、自身の番組で印象的な話をしていた。
彼女は月が苦手らしい。月そのものの存在感に圧されてしまうことがあるらしいのだ(うる覚えなのでもしかしたら違う言い方だったかも)
太陽ならまだしも、月の存在感をプレッシャーに感じるというのは、繊細で不思議な感覚だなと当時は思った。
最近、サイゼリアで同じような体験をした。
ドリンクバーだけ注文したはずなのに、店員さんのミスでプロシュート(生ハム)が運ばれてきた。
断ろうと思ったが、なんだかもったいないのと、いちいち説明するのが面倒で、何も言わずに食べることにした。
読書をしながらちびちび食べようかと思ったのだが、どうにも本に集中できない。
赤々とした生ハムの存在感が、僕に向けてギラギラと何かを主張しているようで、本の世界に上手く入り込めないのだ。
神経質だなと思いつつ、遺体に白い布を覆うように、紙ナプキンで生ハムを隠した。
普段の生活においても、あらゆる物の存在感が、僕たちのメンタルに無意識下で作用しているかもしれない。
散らかった部屋にいると妙に息苦しくなるのもそれが原因と睨んでいる。
まあ、整理整頓は苦手なので、先に鈍感力を鍛えたほうがいいのかも。